占星術シリーズ ~お空の星で未来を観た紀元前~占星術黎明期のお話

こんにちは。ChezLien(しぇりあん)のコウです。

皆さま、梅雨の真っ只中いかがお過ごしでしょうか?

今回から占星術の歴史について紐解いてみたいと思います。

太陽から日の恵み。月による海の満引き。星を見て海路を進む。
国の東西問わず、人々は惑星や星と密接に歩んできました。

占星術の成り立ちは紀元前3000年あたりの、こう古代メソポタミアと言われています。
先人たちは、天体を見て、吉凶を測っていました。
朝から夜になる一定の進行の中で星々も同じ進行方向をたどります。
しかし、水星、火星、木星、金星、土星の星びかりは時によって逆方向をたどることが
あります。
(それぞれの惑星の公転によって地球からそのように見えます。【逆行】といいます。)
そのような惑星の動きを見て吉凶をとらえていたことでしょう。
惑星たちはギリシャ語で【さまよえるもの】と伝えられています。
とりわけ、日食は不吉な現象と位置つけられていました。
バビロニア地方のシュメールの民はその星の計測を発達させ、月の満ち欠けを元にした太陰暦を発明しました。

天体を計測する目的はなんでしょうか?
時間の経過や季節の把握するため循環の法則を知ることだったようです。
観測を続けていると、気まぐれに進行しているように見えていた星が、一定の帯状の中に星が進行しているのがわかります。

これが、黄道と呼ばれている帯になります。
地球の赤道の線上を宇宙まで伸ばした線から23.5度傾けた軌道を言います。

太陽は黄道を一年で一周して、赤道延長ラインと交わる2点を現在の春分・秋分にあたります。
昼と夜の長さが一致している春分・秋分と夏至、冬至を合わせて季節の変わるポイントがわかるようになります。毎年計測をしている季節ごとに【星の群生】が一定期間存在しているこことに気づきました。

23.5度傾けた軌道にある帯の、季節ごと存在している星の群生が
今の12星座にあたります。

星の群生(黄道にある星座)と水星や木星などの恒星の動きをあわせて観測をしやすくしていました。

ここまでは、あくまでも天文観測の域を超えていません。
占星術として未来を占うものとしてのルーツはどのように発展したのでしょうか。

占星術の今日の基礎を作ったのがバビロニアの民で、
黄道に星の群生に星座をあてはめたのも、バビロニアの民ともいわれています。
黄道を英語で【ゾディアック(zodiac)】といいますが、ZOO(動物園)と語源が同等で12星座を通る黄道の別名は獣帯ともいわれます。動物が12星座のメインになっているのも納得がいきますね。

バビロニアの民はどうして星を占星術として扱い始めたのでしょうか?
天文学に長けていたのは、近隣のシュメールの民でした。シュメールの民は
農耕的生活が主で季節の変わり目や天候に着目すれば事が足りていたのに対して
バビロニアの民は、狩猟的社会での生活だったため、
天候の急変や他民族の襲撃に常に神経をとがらせておかねばならないので、未来予知が必要となっていったのかと思います。
バビロニアに伝わる、当時の資料『エヌーマ・アヌ・エンリル』には星による吉凶を読みとくものが現存しています。

バビロニアの民から生み出された占星術の種は、エジプト、ギリシャ、インド、中国と発展していきます。

今後は各文化での占星術の営みについて語っていきます。

次回をお楽しみに☆

この記事を書いた人

Kou

化粧品業界、アロマセラピー講師、大手エステサロンを経て、香りで人の心へアプローチする道へ。日本代表レベルのプロスポーツ選手へのアロマトリートメント、骨盤矯正の施術の経験から編み出したスキルと脳科学、NLP、心理学を駆使し、女性特有の人間関係が織りなす、陥りやすい思考パターンを熟知して本来持つ心と体の状態へ導く。

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